筆の置き方で決まる 早稲田大学教授・石原千秋
2013.5.26 09:24
村上春樹祭りが急速に終焉(しゅうえん)に向かっている感じがする。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の完成度の問題があったと思わざるを得ない。村上春樹の小説は『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』が特にまとまりが悪くとっちらかっているが、かなりの長編なのでそれなりに読めてしまう。しかし、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はこの3分の1程度の長さなのに、まとまりの悪さはもっとひどい。続編でもない限り、完結した小説としては読めないようなところがある。書評などすべて読んだわけではないが、このあたりのことも含めて、登場人物論にも深みがあり、もっとも読み応えがあったのは書評紙「週刊読書人」(5月17日)の鴻巣友季子と中島京子の2ページにわたる対談だった。
群像新人文学賞は小説部門が波多野陸「鶏が鳴く」。ややささくれだった感情を持っている高校生同士が、ドストエフスキーのような宗教問答を交わして(辻原登の「選評」曰(いわ)く)心を通わせるまでを書いた、かなりバランスの悪い「高校生小説」(安藤礼二の「選評」曰く)である。だからと言って、悪い小説だとは思わなかった。「こんな気分になったのは久しぶりだと感じた。素直に泣いてしまいたいと思った」と締め括(くく)られる、いかにも「小説」風にセンチメンタルにまとめた部分を抑制すれば、ずっとよくなったと思う。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最終章もそうだが、最近の小説家は終わり方が下手になったと思う。
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