もう読みましたか ハルキの新作 面白い!? 拍子抜け!?
2013.4.17 07:49
12日に発売された村上春樹さん(64)の新作『色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋)の反響が広がっている。世界的な人気作家の3年ぶりの長編小説は、事前に内容を明かさない秘密主義も手伝って、インターネット上には、熱心なファンが競うように感想を書き込んでいる。発売後も増刷が続き、発行部数はすでに80万部に達した。批評家や村上作品を愛読する“ハルキスト”は話題の新作をどう読んだのか? 3人に寄稿してもらった。
《文芸評論家・清水良典さん》
再出発するための駅
まず、私の住んでいる名古屋が主人公の出身地であり、重要な舞台として描かれていることに驚いた。それも旅人の目ではなく、地元目線で書かれているのだ。これほど名古屋がクローズアップされるのは、現代小説で初めてといっていいのではなかろうか。そこでの名古屋は、「乱れなく調和する親密な場所」であり、不思議な遺物のような「楽園」として登場する。その楽園から20歳のときに追放された多崎つくるが、16年後、かつての友人たちを巡礼する旅の物語である。
この16年という隔たりは、1995年と2011年の隔たりと重なる。大震災や原発事故そのものを直接書いているわけではないが、大きな喪失と傷を心に抱えた者へのメッセージがそこかしこに潜められている。多崎は鉄道駅の設計者である。もはや「楽園」でなくなった日本で生きていかなければならない私たちが出発するための、出会うための「駅」が提示された小説といえるだろう。
《ハルキストが集うカフェ「6次元」共同経営者・道前ひろ子さん》
清らかな喪失感 魅力
なんて美しい作品なんだろうと思った。悲しく震えるような「喪失感」の清らかな上澄みだけをすくったような物語だ。「ある日、突然、すべてを失ってしまった」という感覚は、私が20代の頃に抱いた苦しみそのものだったし、震災で私たちが体験した痛みを代弁してくれているようにも思えた。「多崎つくる」はヤマトタケルのように、現代の日本を象徴する神話的存在なのかもしれない。大きな喪失を抱いたまま「向かうべき場所がない」と今を漂っている。だが、ゆっくりとでも、いずれ喪失は人を大きく成長させるものだし、「つくる」という名前は希望を感じさせる。「5本の指みたいにパーフェクトな五人組」を失ったつくるが、また、100%の女の子に出会うかもしれない。6本目の指をもつ男、緑川が語る「いくら薄っぺらで平坦(へいたん)であっても、この人生には生きるだけの価値がある」というせりふが、村上春樹氏からの静かなメッセージに思えてならない。
《批評家・宇野常寛さん》
冗長な自己回復の旅
発売されたことが「事件」となる話題性とは裏腹に、作品自体は肩慣らし投球を思わせる「小品」。長編ということで総合小説を期待して読むと落胆するだろう。タイトルの「色彩を持たない」とは「やれやれ」と物事から距離を置く村上春樹の小説の主人公に多い自己完結した態度のこと。批判されがちなこの種の男性主人公の自己回復の旅が本作では描かれるのだが、行く先々でその自己愛が追認されていくだけの展開は結論ありきで冗長に感じる。色彩のない=デタッチメント(無関心)からコミットメント(関与)へ、は20年来の作者の抱えるテーマなのだろうが、そもそも自分のことを「色彩のない」人間だと思っているのは、それこそ村上春樹の小説の主人公にストレートに自己同一化できる男性のナルシストくらいだろう。今更、この分量で描かなければいけない題材ではない。作者に対するフェミニズム的な批判に対する応答の側面も強いが、論点をずらす方向での応答
で空回りしている。
あらすじ
名古屋出身で、東京の鉄道会社で駅の設計・管理を手がける多崎つくる(36)には、「赤松」や「白根」など名前に色が含まれた高校時代の親友が4人(男女各2人)いた。突然理由も分からずに彼らに絶縁を通告され、心に深い傷を負った多崎つくるは、絶縁に至った事の真相を知るために、故郷の名古屋やフィンランドを巡る。〈大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた〉(冒頭の一文)という男が、自らの過去と正面から向き合い、人生を生き直そうとする物語。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130417/bks13041707540002-n1.htm
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